EXHIBITIONS

不在の面/実在の像

高嶋清俊

10月3日(金)~10月18日(土)木~日 ※午後1時~午後6時

新作のインスタレーション

写真のおぞましさと写真の無力さ

写真は写真的主体と写真的対象を生み出す。
それは当然もとの主体とも対象とも異なっているはずである。

そこで写真自体が透明化するとき、写真的主体と写真的対象は、元の主体と対象の関係と同様な関係を結ぶことになる。それは主体と対象の関係を写真という形で安定的に強化するように機能するということでもある。そこには多様な広がりと豊かさが考えられる。

逆に、そこで写真自体が前景化するとき、写真的主体と写真的対象の関係の自然さに対してズレが生じ、自明性に違和感が生じ、なにかがほころび始める。それは単に写真画像への違和感だけではなく、もとの主体や対象にたいする違和感へいたる。それが写真がもつおぞましさではないか。

いずれにしろ、主体と対象の関係がそこにはある。写真という媒体が主体と対象の関係を安定的に機能させる方向で作用している。そこに不安的的な要素を介入させたところで主体と対象の関係を前提としていることに変わりはない。

そこで、主体と対象の関係で成立しないような写真をどのように確保できるのか。
例えばカメラの機構そのものを撮影対象としたとき。例えばピント面はレンズによって生じる現象であり実在的な対象ではないので対象としての像の現れは実在的なものの像が付随的に現れてくるになる。主体は撮影システムを設定する役割が主になる。このようなとき主体と対象の関係は違うものになるのではないだろうか。

そしてそのような写真が可能だとして、その時の写真とはどのようなものなのか。
その写真を見ることは、無人称的な観察者の目的の無い観察のようなもなのかもしれない。
それは無力さに向かうことであり、そのことはただ写真の平面の露呈でしかないのかもしれない。ー高嶋清俊

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